Blur~londsdaleのジャージに包まれて
いつのことだったか忘れたが、1990年ごろだったろうか。
Primal screamとmy bloody vanlentineのliveが2週連続で行われ、小原氏とどっちも観に行った。
そんなときだったと思う。
blurのデビュー・シングルのpvが通りのビジョンで映し出されたのは。
なんだか、ルックスのいい、でもちゃそうな兄ちゃんが、変なメロディーを歌ってる、ぐらいの感覚だった。
その後、彼らのファースト・アルバムが大々的に売り出される。ピンクのスイミングキャップを被った女性の顔が印象的だった。
けど、blurというバンド名がiggy popのblah blah blahに関係あるのかという興味ぐらいのもんだった。
後に知るが、blurって、「曇らせる」とかっていう意味だと知った。
■一転
一転、このblurにはまることになる。2枚目のmodern life is rubbishを聞いてからである。
なんだか、このころは、就職もして、毎日どんより過ごしていたし、音楽への興味も自分としては過渡期にあった。
けれど、このバンドがフロントマンのデーモン・アルバーンという名前から顔からスタイルからファッションから、まさにブリット・ポップのアイコンであることに増して、変な音楽をやって、なかにはpop感満載のはまる曲をやってくれていることで、その完璧さが、なお変な音づくりの魅力も引き出させた。
このアルバムではstar shapedという曲に特にはまった。
ずいぶん、ヘビロテで聴いた。
そうこうしてるうちに、大ヒットアルバム、park lifeを出す。
popさが炸裂したGirls and boysはカラオケで歌って個人的にはひんしゅくを買っていたが、この時期のブリット・ポップの金字塔、エポックメイキングだった。
このアルバムでは、彼らの単なるブリット・ポップの旗手ではない、幅の広さを感じさせる曲の数々を披露している。
中でも、いわずもがなのto the endはフランスの女性歌手フランソワーズ・アルディとのデュエット作もフランス語で作られており、電子音楽からフレンチ・ポッポスまでやってのけてしまうという、まさに世の中はblur blur blurに染まっていた。
そんな折に、仙台公演もあって、僕は弟と一緒に行ったのだが、客層は低年齢だわ、曲の進行は怒涛のようにブリット・ポップの王道路線で進んでいくはで、着いていけなかった。
さらに一転
その後、the great escapeというアルバムが出され、随分期待して聴いたのだが、ここはあえて、プロデューサーのスティーブン・ストリート(当時はmorrisseyなどとの仕事で有名だった。)のオーバー・プロデュースもいいところ、聴くに堪えない大駄作になってしまった。
しかし、彼らはここで、終わらなかった。
続くblurというバンド名を冠したアルバムで、その一筋縄ではいかないポップセンスを遺憾なく発揮する。
なんといっても1曲目のbeetlebumで、僕のように暗いメンタリティを育んできた人間の心をつかんだ。
「虫けら。。何やってんだ。。おい」と語りかけるデーモンの歌声と、中盤の転調がメタモルフォーゼ・ポップの真骨頂を見せてくれた。
とにもかくにも性急な歌、m.o.rも大好きだ。
そして、次のアルバム13では、tenderで、ゴスペル調の子守歌を歌う。
千変万化の様相を見せて、そのうちに、デーモンと共に、このバンドに広がりを持たせていたグレアム・コクストンとの確執が露呈し、グレアムが脱退することになる。
それでも、グレアム抜きのアルバム、think tunkでは、crazy beatなど、電子系に特化した粋のいい作品になったと思っている。
しかし、その後、バンドは長きにわたる活動休止状態を送ることになる。
その後の活動はさっぱり、知らない。
それでも、blurはnew waveやalternative scene後に、primalやoasisやradioheadなどと共に、イギリスのポップシーンを引っ張ってくれたし、やせていたら、誰でも男の子は、デーモンになりたかったのだ。