アスペルガー症候群への支援とは
僕がアスペルガー症候群なことは、前にも書いた。
といって、アスペルガー症候群だから何なの?という疑問を持たれる方が多いと思う。
精神科医の星野仁彦(よしひこ)氏は、発達障害の研究をしているうちに、自分が「ADHD」(注意欠陥・多動性障害)であると、判断した。そして、氏は機会あるごとに、アスペルガー症候群やADHDなどについて、「発達アンバランス症候群」だと話しているそうだ。
要は、(脳機能の)バランスの悪さが問題なのであって、世の中では、活躍している人も有名人も多く、エジソンやヒッチコック、ディズニーにジョージ・ルーカス、スティーヴ・ジョブスやビル・ゲイツなど枚挙にいとまがない。
なので、「発達障害=困っている人」、ではないということなのだ。
しかしながら、いろんなことで困っている人が多く、悲惨な状態にあるということも往々にしてあることも事実だ。
命題(テーゼ)から考える
「困っている人を助けなさい」というテーゼがあるとすれば、何で困っているかを探すのが支援者や周りの人の最初の作業と思われる。
思われるという表現を使うのは、例えば、「みんなそれぞれ困っていることがあって、それでもがんばって生きているんだよ」「そんなもんは病気でも何でもないし、人はみんな違う」「自己責任の範囲内だ」「みんな違ってみんないいbyみつお」とか。
軽度な障害において周りはおろか本人にも自覚がない場合は特に、はなから手を差し伸べる問題ではないんじゃないかというような先入観があれば、困っている状況は改善しない。
困っているのに、本人が受診のきっかけづくりもしないのであれば、手の尽くしようがない。そういうケースが多いのが、発達障害の難点だ。
それだけ、先入観というのが、援助関係あるいは、もっと広く言えば人同士の価値観の違いを理解しあう場、相互理解において、大きな「壁」として立ちはだかるのだ。
人というのは、「ひとり裸で生まれて、ひとり裸で死んでゆく」というテーゼがあるとしよう。
人は生まれるときは、母親の胎内から外界に生まれ落ちるが、生まれ落ちた瞬間、母親とも切り離され、「個」となる。
現実には、赤ちゃんは、ずいぶん、仮に親でなくとも、人の手をたくさん借りて育っていくものだが、発達し、成長し、「自立」の時期を迎えることになっている。
そして、周りの人と人間関係を築き、生かされ、やがて老いて、死んでゆくのだ。
その時、人の個性によって、寂しがり屋もいれば、胆の据わった度胸のいい人間もいるのが現実だ。
そこで、僕が今、挙げたいのは、特に自分からの人への「距離感」のとり方である。
次回、この「距離感」について、考えたいと思います。