デブが語るダブ~asian dub foundation
やってしまった。
ゆうべ眠れずに泣いていたわけでもなく、眠れずに、パスタをゆでて食べてしまった!
かなりの期間、夜中の食事は、封印してきたはずである。やせたいから、せめて、70キロ台を維持したいから、これまで、我慢をしてきたではないか!
しかし、そのパスタの味は背徳の味にして、夜中の我の脳を活性化させるのに十分なほどの甘美な誘惑であった。
かつてukの音楽を紹介する番組では、ロン毛でサングラスの兄ちゃんが、革ジャンから、でっぷりとした腹を出して、吐き捨てるように唄っていたじゃないか。
いいんだ、たまには。こういうやつもいる。と、自分をなぐさめる。
それにしても、音楽のことを書きたいなぁ、と常々考えているうちに、aztec cameraの次に書きたいaで始まるアーティストは誰かというと、彼らしか思い当たらず、しかしながら、彼らのアルバムを1枚しか持っていないから、十分に書けないことも自明の事実であったが、頭から彼らの音が離れない日々を過ごしていた。
彼らとはasian dub foundationである。
当時、彼らの“buzzin'”をmtvで見て、一発でやられてしまったのだ。
音楽性は、その名の通り、asianでdubなわけである。
buzzin'は今もヘビロテで聴いている。
縦笛なのか、フルートなのか分からないが、東洋的な音色をアクセントに奏で、あとは、ラップと音とサンプリングを重ね、ラップである。
彼らのラップの好きなところは、決して投げやりではない、それでいてガキくさい声で、「俺はここで生きているんだ!」という主張が、強く感じられるのだ。
primal screamに気に入られて、一躍、メジャーになったとのことだが、primalにも逆に影響を与えたんではないかと思われるほど、緻密かつパワフルな音作りがなされている。
異文化が本物の文化を作る
彼らは、インドかパキスタン系で、英国では、そこら辺のパンジャブ地方の移民がコミュニティを作り、長く暮らしているようだ。
大学生の時に観た映画だから、もう当時からコミュニティが出来上がっていたのだと思うのだが、「マイ・ビューティフル・ランドレット」という映画で、主人公がパキスタン系の移民で、ダニエル・デイ・ルイス演じるロンドン子と友だちになり、コイン・ランドリーを始めるという話で、パキスタン人への抗議デモが巻き起こる映像が平和ボケの田舎の少年には刺激的だった。
今は、こないだまでの、イギリスのEU離脱論争などの原点として、思い起こされた。
一方で、歴史を振り返ると、英国において、音楽シーンの重要な節目は移民が変えてきた、と感じている。
クイーンのフレディ・マーキュリーはスリランカ系インド人である。
また、モノクローム・セットのビドもインド人とアメリカ人のハーフである。
クイーンはいわずもがな。
モノクローム・セットもthe smithsらに大きな影響を与えた。
asian dub foundationと、今、彼らが生きている時代、ロンドンやイギリスが、どう動いているのかは、よくわからない。。。
asian dub foundation Time Freeze 1995-2007: Best of (Dlx)
しかし、彼らには、彼らが生きる場所で呼吸をするかのように、彼らの音が必要で、それが先達と同じように、受け入れられた。
どこの国でも、好きなときに、腹が減ったら食えるように、そんな柔軟な異文化を自由に味わえる。
安全であることと共に、それが、「一番」大切なのだ。