赤塚不二夫と堕落論
「わしはリタイアしたのだ。すべての不安からリタイアしたのだ」といいたいところであるが、その境地には至らない。
そんなふうに、漫画の主人公に言わしめた本人は、晩年、目の見えない子どもたちに、漫画の楽しさを知ってほしいと、点字のついた触る漫画を考案した。
ギャグ漫画の巨匠、赤塚不二夫である。
リタイアの先には、「楽しさ」を伝えること、分かち合うことが、光明として、ビジョンとして見えていたのだろう。海の洞窟の中にあり水の色を青く照らす東からの一筋の光のように。
彼が、トキワ荘にいて、まだ自分のスタイルを確立できずにいたころは、貧乏で、仕事もなくていつも空腹だった。
そんな時になけなしの金で、「しょうゆ」を買うことを選択して、白菜か何かを入れた鍋をこさえ、「さあ食うぞ」と思ったら、ほかの漫画家の原稿の完成を待っていた編集者らに、「うまい、うまい」と食べられてしまった、本人はそれでも微笑みを浮かべていたという。
「成功」してからの話だが、経理を頼んでいた人間に億単位のお金を持ち逃げされても、騒がずにいたというエピソードにも事欠かない。
また、彼を語るときにタモリとの交流も人々の心に記憶されている。
中学生のころだったか、月刊ジャンプで、タモリとのエピソードをまとめた読み切りの漫画があって、今でも、絵が画像記憶として脳裏に焼きついている。
今思えば、あんなにばかなことができる大人は素敵なんだと心から思う。
子ども心を失わずいることが、自由さの絶対条件なんだ。
タモリが描いた漫画ってのも、その読み切りで初めて見た。
堕落と子ども心
赤塚不二夫のような、大人(たいじん)は、そういう素地を持っていたのか。
そのリタイアの境地への過程で、何を考え、何に気付き、どう生き方を変えていったのか。それが、作品に投影され、爆発的な大ヒットにつながるのだが・・・。
彼は、堕落したのか。唐突だが、安吾の「堕落論」に基づくなら、堕落した人、世間から外れた人、そうした人を見、仲間として受け入れ、作品にもレレレと登場させてきた。
彼は期せずして、「漫画」で「堕落論」を書いたのだ。そして、堕落論を凌駕して、オモシロい、高尚なギャグとした。
それでいて、自分の「子ども心」には、「怖かった」。
そして、今も子ども心の無防備さと防衛本能の綱渡りの中で、子どもたちは生きている。
彼の作品が、突き抜けているが故の、世知辛さ、うなぎの不憫さも描いた。
そして、荒野を進み、背中に不退転の覚悟を感じさせる恐怖漫画であると感じた「子ども心」が、僕の本質であり、僕の素地なのだ。