等身大の愛は地球、否、オレを救う~buzzcocks
1990年3月2日、クラブチッタ川崎で彼らを観ている。
彼らというのは、そう、 「マンチェスター」の元祖パンク・バンド、buzzcocksだ。
僕はひとりで東京に行くのが初めてだった。
千葉にいる小原氏と東京にいるgotoちゃんを「頼って」、初めて観る生の海外アーティストに決めたのが彼らだった。3人で観た。
会場の人の入りは、7割ほどだったろうか。
観に来ている人たちのファッションと、自分とを比較して恥ずかしくもあった。
けれど、buzzcocks、当の本人たちの服装が、自分の格好に似ているようで勇気づけられた。
「自分は自分のままでいいんだよ」
と言われてるかのようだった。
そして、ピート・シェリーの歌声や彼らのシンプルな3コードの展開に乗る、覚えやすいメロディに次第に乗せられてゆく。
ドラムを元the smithsのマイク・ジョイスが叩いてるのが見えて、初めて見るのに、なんだか親戚の兄ちゃんにでも会った気分で、でもthe smithsの人間なのだから、ますます興奮した。
■Peel sessionsのbuzzcocksがすばらしい!!
行くことを決めたのは、たぶん3カ月前くらいだった。で、disk noteに行って、彼らのアルバムを探したら、BBCのradio1でやっていたという有望新人の登竜門、peel sesssionsの彼らのアルバムがあった。
そのときに、peel sessionsの存在も初めて知ったし、このスタジオセッションが、極めて質の高いパフォーマンスと迫力のある録音で、彼らのアルバムも、大満足の出来に仕上がっていた。
あとで普通のスタジオ録音版のbest盤が出たので買ったが、best作品としての意味合いにおいても、音の厚みにおいてもpeel sessionsの方が圧倒的に優れているんだからjohn peelさんは大したもんである。
彼らのpunk bandとしての曲の短さもpeel sessionsのアルバムの長さにちょうど良かったのかもしれない。
とにかく、それを毎日のように聞いて予習してライブに臨んだ。
だって、それまではまともに彼らの曲を聴いたのは、fmか、当時やっていたnhkのbsのtransmissionという番組ぐらいでしかなかったからだ。
だから一番最初に知った曲は映像でも流されたwhat do I get?。
それまで高校時代に聞いたpistolsがpunkの本流だとするならば、buzzcocksは、ピート・シェリーの声とも相まって「やさしいpunk」だった。
今考えると、このポップなpunkがnew waveの多様性を作り上げるのに多大なる貢献をしたのだと思う。
ピート・シェリーと共にbuzzcocksを立ち上げ、ほどなく脱退し、magazineで、こちらも元祖ゴシックパンクといえるmotorcadeを演ったハワード・ディボートウのように。
等身大の音楽はオレに人生をくれた
punkのイメージが過激なファッションと、激しい音楽と、ドラスティックな主張で構成されるたものという「ぶち壊し型」のイメージがついてしまっていたなら、buzzcocksは等身大の自分たちを歌っていた。大げさな仕掛けのないアティテュードで、音楽的も等身大だった。
ロックのエッセンスともいえる彼らの音楽に、僕はのめりこんでいった。
高校生の時のpunk体験といえば、toy dollsとブルーハーツが同時代のものだったから、彼らの中にある「自白性」がすでに、buzzcocksの中にあって、なお一層、彼らを偉大な存在にさせた。
彼らの好きな曲を上げればキリがない。
・what do I get?
・fast cars
・noise annoys
(曲名からして最高な韻のセンス!!)
・ever fallen in love?
・lipstick
・everybody happy nowadays
・i don't know what to do with my life
などなど。
頭ン中に曲を想像して流してるだけで、シンパシーからの充足感を感じる。
「俺は、ちっぽけなことで悩んで、気にして、そんなちっぽけな人生を歩いているかもしれない。無駄にしてきた時間ははかりしれないかもしれない。でも、それでいいんだよ」
って言ってくれてる気がする。
彼らはみんなを見守ってるんだ。
何よりも、「オレ」に人生をくれてありがとう。
最初のライブ初体験が彼らでよかった。